「新時代」がズラした(displace)ことが明らかなものの一つに「客観」的変化と「主体」的変化の次元の境界がある。〜階級や国民、民族集団(ethnic droup)といった集合的な社会的主体がさらに分断され「複数化」されると同時に、個人主体がますます重要になってきた。